スローライフを生きる~入社2年目でうつ病になったHSPの話~

内向的でHSPの気質を持った20代OLのブログ。今は人生の立て直し中。

【自己肯定感の低さについて分析していく】①能力に関する劣等感

 うつ病の原因の1つでもあった、自己肯定感の低さ。

 私は常に「自分は普通より下だ」という意識があります。

 会社に行けば周りの人は仕事がテキパキ出来て凄いと思い、同時に自分がとても劣っていると感じてしまう。

 同級生の仕事の話や結婚の話を聞くと、皆はちゃんと大人になれていて、自分だけがいつまでも子供のままだと思ってしまう。

 社交性が高く話し上手な人を見れば、自分のコミュニケーション力の低さに嫌気が差してしまう。

 褒めてもらえても、「優しい人だから私に甘い評価をしてくれてるんだ」「仲が良いから贔屓目で見てくれてるんだ」と思ってしまい、素直に受け止められない。周りの人がみんな優れているように見え、常に誰かと比べている自分がいます。

 

 こんな考え方は苦しくて、自分のことがどんどん嫌いになっていきます。出来ることなら止めたいです。もっと幸せなことを考えたいし、気楽に生きたい。

 この自己肯定感の低さは、生きづらさを和らげるために解決しなければいけない問題です。対策するには、相手を知らなければいけない。この自信の無さの正体を突き止める試みを始めました。

 

 

 

自信が持てない分野の仕分け

 

 「自己肯定感」でひとまとめにすると堂々巡りになってしまうので、まずは自分が特に劣等感を抱いている事柄を分別してみました。

 ・仕事で感じる劣等感

  →地頭の良さや、生まれ持った能力に対する劣等感

 ・人間関係で感じる劣等感

  →コミュニケーション能力に対する劣等感

 ・同年代と比べたライフステージの進み具合に対する劣等感

  →人と同じことが出来ない、普通でないことへの劣等感

 

 これらを1つずつ焦点を絞って、じっくりと解体していきます。

 

 能力に対する劣等感

  今回は、主に仕事で感じる劣等感について見ていきます。

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自分が「下」であることを示す基準は何か?

  前述の通り、私は周りの人がみんな優れていて、自分よりずっと手早く完成度の高い仕事が出来ると感じています。周囲は自分より優れていて、自分は下。

 じゃあ、その判断を下す明確な基準は何か?改めて問いかけてみると、何も思いつきませんでした。

 何となく、余裕そうだったから。

 会議中とか、質問されてもスラスラ答えられてたから。

 トラブル対応頑張ってて、しっかりやってるように見えたから。

 私みたいにわたわたしてる感じがないから。

 あれ?ふわふわした答えしか出てこないな?

 

 自分の仕事ぶりは自分で100%見てるけど、他人の仕事ぶりは断片的にしかわからない。それなら総合的な判断は出来ないのに、一部分を見て全てを決めつけている。

 もしかして、漠然としたイメージだけで自分が劣っていると決めつていたんじゃないか?

 

  集団の中には必ず能力の優劣が出ます。優秀なA評価、普通のB評価、劣等のC評価。私がC評価だとしたら、B評価の人は誰で、A評価の人は誰?考えてみたら、全くわかりませんでした。周りの人全員の仕事ぶり把握しているわけじゃないし、そもそも2,3年目のぺーぺーで他人を評価できる目も持っていない。

 他人を評価する物差しを持っていないのに、自分だけはC評価だと思っている。

 それって、何の根拠もない思い込みじゃないか。

 

 よくよく考えてみると理解できるのですが、思い込みとは怖いもので、一度自分の中でそれが真実だと決めてしまうと、それを信じ切ってしまう。私はずっと中身のない評価に振り回されていたようです。

 

 そもそも、何でここまで自分に自信が持てないのか?

 大抵の原因は「過去の体験」にあると聞くので、昔の自分を振り返ってその理由を探ってみます。

 

地頭が良くないと気づいた中学時代

 初めて「自分は頭が良くない」感じたときのことを思い出しました。それは高校入試に向けた受験生時代のときです。

 私は1度聞いただけでは理解できないことが多く、復習時間を作って自分なりに咀嚼しないと問題が解けるようになりません。要領が悪いのです。繰り返しやらないと身につかないし、努力しないと絶対に良い成績は取れません。

 しかし、常に私より上位で同じ高校を目指している子の中に「勉強なんてしたことない。授業で1回聞けばわかる」という子がいました。初めて聞いたときは衝撃を受けました。頭が良いってこういうことなんだ、と思いました。

 私は我慢して自由な時間を削って勉強しているのに、その子は自分の好きなことに時間を使える。私はこんなに苦しい思いをしているのに、その子は飄々とストレスも無く過ごしている。羨ましいと同時に、悔しかったです。

 

 けれど、僻んだところで私の成績は上がりません。せっかくなら行きたいと思った学校に通いたいので、投げ出すのも嫌だ。だから、こう思うことにしました。

「私は頭が良くないんだから、天才の2倍、3倍努力すれば良いだけだ」と。

 地頭で勝てないなら、その差は努力で埋めれば良い。そう思えばやる気も湧いてきたし、当時の私を前向きにするには有効でした。

 高校に入っても「何にも受験勉強しないで受かった」と言う子に何人も出会いましたし、その度にこう言い聞かせて心の平穏を保ってました。

  

 しかし、この考えで仕事をしたら悪い方向に行きました。

 常に「自分は劣っているんだから他人より頑張らないといけない」と思ってるので、毎日100%で仕事に当たります。そうすると、本当に忙しいときは120%の力を振り絞らなきゃいけなくなって、ギリギリまで無理をするしかなくなります。

 その結果がメンタルを壊した今の私。

 ああ、もうこの生き方は無理だ。

 この考え方でいたら私は壊れてしまう。

 

 病気になって実感しました。

 

必要なのは、前向きな諦め

  さぁ、生き方を変えないと病気になると気づいた今、どう変わっていけば良いでしょうか。その答えを私はもう知っています。

 

・自分の物差しが歪んでいることを自覚すること

・無理をして実力以上の結果を出そうとしないこと

 

 自分が漠然としたイメージに振り回されてると気づいても、ずっと根付いてきた劣等感はそう簡単には払拭できません。だから、まずはその評価が正確じゃないことを自覚することから始めます。劣等感を感じたら、「でもその見方は歪んでるからね」と思い出す。言い換えれば、偏った自己評価をしている自分を受け入れる。

 

 そして劣等感を感じても、「でも私が苦しくないペースを保てるのはここまでだから」と、無理して追いつこうとすることを止める。レベルの差を感じても、病気になるくらいなら頑張らずに下にいた方がずっとマシです。

 自分の力は所詮この程度と諦める。

 

 「諦め」ってずっと悪いことだと思っていたんですが、幸せに生きるためには必要なことだと感じるようになりました。上ばかり見てるから苦しくなる。人と比べるから辛くなる。それならもう、本来の自分はこの程度と認めることにします。

 私は凡人なんだだから、無理なく続けられるペースで頑張れば充分。自分なりに成長していけば良いんだ。そう思ったら、張り詰めていた糸のようなものがふっと緩んだような気がしました。

 頑張るのを止めるんじゃなくて、無理をするのを止める。幸せになるために、自分を苦しめる要因を排除する。程々の劣等感を覚えながら、「それで良い」と受け入れる。

 

 

 自分に優しく生きる。それくらい甘くても良いんじゃないかな、と思います。