【就活からの失敗談】仕事は「やりたいこと」がスタートじゃなくたって良いじゃない②
「やりたいことをして、充実していたい」
これはとても自然で、前向きな欲求だと思います。誰だって好きなことをして、それで達成感を得られて生活できたら幸せなことでしょう。
ただ、この言葉はとっても曖昧で、その意味をとり間違えてしまうと、私のように自分を苦しめてしまいます。
私は「やりたいことをして、充実していたい」を「やりたいことを仕事にして、成果を出して充実感を味わいたい」と捉え、そこから
「仕事はやりたいことでなくてはならない」「成果を出さなければ意味がない」
という逆説的な呪縛が出来上がり、ずっとそれで右往左往していました。
上の強迫観念のせいで、
「やりたいことを仕事にしないといけない=やりたいことを見つけないといけない」と就活で焦りまくり無理やりやりたいことを探して、
就職してからは「成果を出さなければ意味がない=人から褒められても数字で結果を出さなければ意味がない」と誰にも求められていないのに自分で上ばかり見て焦って…。
病気になって転職活動して失敗して、そこまでやらないとこの呪縛から逃れることができませんでした。
キラキラの魔力
「やりたいことを仕事にして輝く」という言葉はとても明るいイメージで、自分もそうなりたいと惹きつけられてしまうのですが、それに執着すると苦しんでしまいます。
昨今、ビジネス書を読んだり講演会に行けば、転職を繰り返してスキルアップし、個人の価値を最大限に引き伸ばしていくビジネスマン、大企業にいながら副業で社長として働き充実した人生を送るキャリアウーマン、社内でイノベーションを起こし構造改革に成功した若手…そんな人の成功体験ばかり目に入ってきます。
それはとても眩しくてキラキラしていて、「自分もああなりたい」と憧れを感じます。
キラキラした言葉には、魔力があると思うのです。
幸せは人それぞれだけれど、自分でも自分の幸せってなかなかわからないじゃないですか。だからついつい、わかりやすい「幸せの形」に飛びつきたくなっちゃうんだと思います。
キラキラした人の持論や成功体験ってとても説得力があって、惹きつける力が強いと思うんですよ。憧れのロールモデルがあると指針を持ちやすいですし、一から人生を模索するより楽なので。
でも、結局それは他人の価値観で生きてることになるので、コレジャナイ感に苦しめられると思うのです。
自分に合ってないキラキラを追い求めて本心を無視してしまっていたので、今は「幸せとは、自分にとっての『ちょうど良い』を見つけること」と考えるようになりました。
簡単なようで、実はこっちのほうが難しいかと思います。正解がない、目指すべき方向もわからない中で、自分だけの答えを探し続けなければいけないわけですから。
ずーっと自分の本心と向き合い続ける作業です。そこには認めたくない子供でわがまままで怠け者で未熟な自分がいて、キタナイものを見続けなくてはいけない。でも長い目で見たら、こっちのほうが苦しむ時間はきっと少ないです。
みんながみんな、キラキラしなくたって良いじゃない。
程よく働いて程よく好きなことをして程よく休んで、それだって良いじゃない。
地味でパッとしなくたって、ちょっとくらいダラダラしてたって、それで気持ちよく生きられるなら。
それが自分にとっての正解だと思います。