スローライフを生きる~入社2年目でうつ病になったHSPの話~

内向的でHSPの気質を持った20代OLのブログ。今は人生の立て直し中。

【自己愛】永田カビさんの作品と見ていく、パーソナリティ障害②境界性※2020/5/27追記

第二回目は、境界性パーソナリティ障害の特徴について見ていきます。

sasano.hateblo.jp

 

 

境界性パーソナリティ障害とは

 深い自己否定感を抱いている。些細なことで傷つき、絶望感や自己嫌悪から自己破壊衝動にとらわれたり、空虚感を紛らわすために刺激(恋愛、セックス、薬物、自傷行為、万引など)を求めてしまったりする。気分の上がり下がりが激しい。

 また、自分を支え、愛してくれる理想の存在を常に求めているので、どこまでも相手に依存する。相手が逃げようとすると、必死にしがみついて関心を引こうとする。

 メンヘラ彼女から別れられない人の話でよく聞きますね。別れようとすると自傷や自殺未遂に走ってしまうので、強く言えずズルズル続いてしまう…とか。

 さて、永田さんの作品から、当てはまる描写を見ていきましょう。

 

 

永田さんの描写

 ①深い自己否定感

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(引用画像:永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』イースト・プレス,2016年,21頁)

 「どうして私はこんなにダメなんだろう」「どうして普通の人が出来ることが出来ないんだろう…」など、うつ病になると特にこの感覚が強くなりますよね。自分で自分のことを嫌いになるのって本当に辛くて、出口もなく延々ともがき苦しみます。

永田さんはさらに「自分にはものを食べる資格がない」「お酒を飲む資格がない」とまで考えて摂食障害になってしまっていたので、この特徴は如実に現れていると言えるでしょう。

 

②自分を受け入れてくれる万能な存在を求める

 境界性には「相手を極度に理想化し、父親や母親の代わりを求める」という特徴があるのですが、永田さんはまさにお母さんにそれを求めていて、「理想の母性愛」を欲しがっているように見えます。

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(引用画像:永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』イースト・プレス,2016年,46頁)

③底なしの愛情飢餓

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(引用画像:永田カビ『一人交換日記 (ビッグコミックススペシャル)』小学館,2016年,103頁)

 永田さんの本って自分の心の内面を描いたものなので、その時時の状態や気づきによって、主張が変わることがあるんですが、全冊を通して一貫しているのが「さびしい」という叫び。

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(引用画像:永田カビ『一人交換日記 (ビッグコミックススペシャル)』小学館,2016年,18頁)

 ひどいときは、さびしすぎて体が冷え、動けなくなってしまったそうです。

 正直、初めて読んだときは「何がそんなに寂しいんだ…?」と首をひねりました。上手く行っていないようだけど酷いご家族というわけでもなく、飲みに行く友達もいるみたいなのに…。一体何があればこの人の寂しさは救われるんだろう?と疑問だったのですが、境界性の特徴を読んで腑に落ちました。

 境界性パーソナリティ障害の人は、常に愛に飢えていて、どれだけ愛されても満たされることがないのです。

 優しい言葉をかけてもらったり、仲良くしたいと近づいてもらえたら、一時は救われるけれど、またすぐに寂しさが襲ってくる。 こういった依存に振り回されることで、周囲は自分がコントロールされているような感覚に陥り、逃げたくなってしまいます。

 

 

根っこにあるのは、親に対する深いこだわり

  ゆるやかに自己愛が育った人は、親の存在がだんだんと小さくなり、親の評価がそれほど重要ではなくなります。一方、何らかの事情で適切な愛情や保護、教育が与えられないと、親から卒業できず、過度な理想化や賞賛を求め続けるようになります。

 

 永田さんは元から「親の評価が全てだった」と言っていて、それは両親が初めて彼女のエッセイを読んだときのシーンが顕著でした

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(引用画像:永田カビ『一人交換日記 (ビッグコミックススペシャル)』小学館,2016年,86頁)

 「レズ風俗~」の本は、寂しくて何度も死のうと思ったことや、風俗での性体験を綴ったショッキングな内容であるので、ご両親の反応は芳しくありませんでした。

 ご両親の立場で考えるとかなり複雑な心境でしょうし、動揺して温かい言葉がかけられないのもわかるのですが、永田さんは「本が出たことを褒めてもらえなかった」と、世界が崩れたように感じるほど絶望してしまいました。

 本人も「お母さんに執着する自分が嫌いだ」と自覚はしているのですが、どうしても精神的に離れることができず、母親への理想化とこき下ろしを繰り返してしまっています。これはお母さんも永田さんも辛いだろうなぁ…。

 

 

どうやって克服する?

 この終わりのない愛情飢餓と寂しさは、他人が解決することは出来ません。自分の力で乗り越える他無いようです。

 ・自分の両極端な白黒思考を自覚し、グレーゾーンを選択することを繰り返し、思い込みを修正していく。

・いきなり他人と理想の関係を求めない。距離をとって、じっくりと、細く長く関係を続けていく。

・寂しいからといって、すぐに他人で紛らわさない。欲求不満を感じても、すぐに解消しようとしない。

 

 結局のところ、「極端な考え方を自覚し、曖昧でいることに耐える」ことが大切なようです。このスタンスって、境界性に限らず、うつ病のときや、悩んでいるときにも効果的なんですよね。

 悩んでいるときってとにかく早く答えが欲しくて、手当り次第飛びついちゃったり、気持ちだけ焦って空回りすることが多い気がします。辛いとき、苦しいときほどその状況を早く抜け出したいともがきますが、「一旦問題を脇に置いて、考えるのを止める。リラックスできることをして休む」という対処法は、案外万能薬かもしれません。

 

 

 

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(引用画像:永田カビ『現実逃避してたらボロボロになった話』イースト・プレス,2019年,132頁)

 永田さんは依然として「さみしさを埋める愛」を求めていますが、それは彼女の頭の中にしか存在しない幻なのではないでしょうか。本当に必要なのは、高い理想を手放す、前向きなあきらめかと思います。

 

追記:プラトンの「イデア論

 こんなことを言っていたら、面白い哲学を見つけました。

 「現実」は二層からなり、上の層は観念上のイデア(理想形)の領域で、完璧な正義、完璧な親子愛など、あらゆるものが理想的な形として存在する世界。その理想形には、不完全な肉体を持つ人間はアプローチできない。私達は第二の層(粗悪な物質世界)に暮らしており、完璧でも完全でもない世界だが、それが唯一の現実であり、その中で満足しなければならない。

 

 つまり、無償の愛も普遍的な母性愛も、理想的なものは全て、私達の生きている世界には存在しないのです。完璧なものを手に入れることはできない。現実の中で満足しなければならない。

  永田さんの著書を読むと、どーしても「自分の求めている完璧の愛の形はどこかにあって、それを手に入れたい」と思ってるように見えるんですよね。永遠に手に入らないものを求める生き方はとても苦しいと思います。100%満たされなくても問題ない、80%でも70%でも、それで十分だと思えるようになったら、きっと楽になれるでしょう。

 

 

おまけ

 「一人交換日記」では永田さんを愛してくれる人が出てくるのですが、彼女は「相手と同じくらい愛せないと結局寂しい」と関係を止めてしまいました。愛されなくて寂しい、愛されても寂しい。結局の所、彼女が自力で誰かを愛することができない限り満たされないんじゃないかと思います。

 とはいえいきなり人間相手はハードルが高いでしょうから、私は結構本気でアニマルセラピーをオススメしたいです。動物のほうが人間よりもずっと正直で、しがらみもなく、わかりやすい形で愛情を返してくれます。愛されてる、受け入れられていると実感できるのに最高の相手だと思うんですよね。

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 私も愛し愛されるような深いつながりの相手がいないけれど、寂しさは感じません。それは、愛情を注ぐ対象がいるからじゃないかと思うのです。

 猫は人類を救います。